「生きづらさ」とは、何か?
聞かれて、答えるのは難しいです
具体的な内容は、人それぞれ
それでも、自分が抱えているものを
理解することには
大きな意味があると考えています。

今わたしが解釈している
生きづらさとは何かの?答えを通して
あなたの場合も考えてもらえたら嬉しいです
私は、幼児のような母と
面倒なことからは目をそらす父の長女として育ちました
家を出た日から
一人暮らし8年、結婚してから2年たちました
いまのところの考えです
生きづらさとは「考え方のクセ」
生きづらさの正体とは
苦しくなる考え方のクセだと捉えています
そして
生きづらさがうまれる時には
考え方のクセを強化する周りの環境が
あったのだと思っています
考え方のクセは、周りの環境で作られて、強められる
人はだれしも
はずかしい気持ちや、悲しい気持ちを感じたとき
そこから目を逸らすために思考を巡らせます
目を逸らさず
対応できる人もいるかもしれません
でも、そんな経験がなければ
理由を探したり言い訳をしたり
直面しないようにします
その方法は、ふたつ
他人を傷つけるか
自分を傷つけるかの
どちらかです
他人を傷つけるの苦しいことなので
最終的には自分を傷つけるようになります
はじめは
自分を守るためだったはずの回避が
自分を苦しめて
なんども使い続けるうち
自分を傷つける考え方のクセが
身についてしまうのだと思います
はずかしい気持ちや悲しい気持ちを味わい続けると
同じ考え方のクセを使うので
その考えが強くなっていきます
考え方のクセがうまれる例①
たとえば、親に家から閉め出されたとき
はじめは一生懸命に理由を考えるでしょう

親は本当は好きでいてくれてるけど
じぶんがとても悪いことをしたから、こうなったんだ
などと
納得させようとするかもしれません
親から暴言を吐かれるたび
「親がこんなに言うならじぶんが悪いに違いない」と
考えたことが証明されて強められます
もし
学校でもいじめられていたとしたら
「やっぱりじぶんはダメなんだ」と
また再確認します
もしかしたら
「自分だけが我慢すればいいんだ」と
考えるかもしれません
他人と違ってじぶんだけが我慢すべき存在
そう納得するための理由は
自己否定以外では見当たらないでしょう
考え方のクセがうまれる例②
思考のクセが生まれる状況は
周りの人にその気はなくても起こり得ます
たとえば
大きな音がとても苦手で
避けるために逃げ出してしまうとき
「ちゃんとしなさい」
「サボらないのがあなたの為なんだよ」と言われたら
とても悲しくて悔しい気持ちになるかもしれません
分かってもらえないことや
サボると言われる悲しみの理由を
「じぶんはダメな子だから」と思うかもしれません
雨音がうるさいだけで疲れてしまって居眠りをしたら
「またサボってる!」と言われ
また強められます
家族や友達に「なんでちゃんとしないの?」と言われたら
「わかってもらえないなら、やっぱりじぶんがダメなんだ」と
再確認します
生きづらさ=苦しい考え方のクセは、無理やり納得するところからはじまる
理不尽な状況や苦しい状況にいるとき
周りや自分のために
劣等感や役割にあてはめて
むりやり納得したとき
生きづらさは始まるのだと思います
考え方のクセは、変えにくい
いちど手に入れた考え方のクセは
とても変わりにくいものです
自分を自分で攻撃するようなクセを持っていると
それ以外の考え方が見えにくくなります
傷ついた分だけ強くなれるなんてことはありません
傷ついている人ほど
もう傷つきたくないと願うものだから
それに
じぶんとちがう考え方は
ときにとても悲しいものです
自分が悪いのではなく
親にとって自分はそれほど大切ではないと
気づく方が悲しいかもしれません
また本人や周りに知識がないことも
他の考え方が見えなくなる理由です
知らないものに触れて
傷つく可能性もあって
避けたいこともあるでしょう
前述の例②でいえば
「自分はみんなと違って感覚が過敏なんだ」と
受け入れるためには
多数の人に比べて感覚が過敏な特徴を持つ人もいると
知らないとはじまりません
人はみんな知らないものに出会うと
自分の知っているものに近づけて
定義づけをします
知らないものは選択肢にも入らないのです
考え方のクセは変えられると信じて
わたしにとっての
考え方のクセを強化する周りの環境は
生まれ育った家庭でした
そこから離れて、はや9年
そして
調子のいい時だけですが
少しずつ考え方のクセを変えられるきざしが
見えてきました
だからこそ
祈るような気持ちで
「考え方のクセは変えられる」と
発信していきたいです